顔の良さは世界を救う

 *顔のイイ男たちのことを話すだけの記事です。



間宮祥太朗ニーチェ先生で笑いを堪えてる様が非常にかわいかったです。イケメンが堪える姿って…イイね?なんか新たな性癖目覚めそうで、恐ろしや。というか、おふざけに全力なイケメン最高っすよね。三枚目というジャンルをつくってくれてありがとう世界。ちなみに何かのサイトで見た三枚目俳優ランキング一位は大泉洋でした。…ありがとう世界…!しっかりしたイケメン。アロハが似合う。)

成田凌(怖いタイプのイケメン。この手の男好きすぎてもはや苦手。だってこの顔に馬鹿にされるの恐怖の極みじゃ~~~ん。たぶん吸い始めて5秒で捨ててもまったく問題ないくらい煙草貢がれてると思う。それ程に喫煙が似合う。でも身体に悪いからダメ!喫煙!で。お願いしたい。みんなでココアシガレット贈ろ。アングライケメン。)

柳楽優弥(私の中で彼は、いつまでたっても星になった少年。顔がいい。甘さとだるさがいい具合にブレンドされており、彼が珈琲ならば国宝レベルのカップとソーサーが用意されるに違いない。お茶請けも、きっと我々庶民の家賃くらいは軽くするものが出される。いいさ、だって顔がいいもの。)

吉沢亮(顔面がもはや芸術の域に達しておられる。彫刻。皆言うけどほんとに彫刻。たぶんお母さんは一流の彫り師。彼が座ってるだけでお金取れる。そのご尊顔を拝む為に投げ銭が始まる。ウソ。この耽美なお顔を前にしてそんな俗なことできるかボケ。お淑やかに貴族のお遊びしよ。蹴鞠とかしよ。どうでもいいけどぜったい袴似合うじゃんつら。あと、このタイプの美青年儚いから、私の寿命でよければいちど綺麗に洗い直してから差し上げたい。私以外にも信者たくさんいると思うから存分に長生きしてくれ。そして天界で彼の成長記録を放映してくれ。)

千葉雄大(言わずと知れたかわいいの権化。そしてかわいいの語源。この顔で男の子してるの最高過ぎて…なんて言うか、位置について札束よーいドン!!!って感じ。オトメンからゲスオまで幅広く似合うのは、前世で何をしてきたからなのですか?彼の前世は神ですか?)

伊藤健太郎(とにかくかわいい。ん?って顔が良く似合う。「ん?」「ん、」「ん。」だけで生きていける。は~い、お小遣いだよ~♡ご飯たくさん食べてね~♡ぜんぶお姉さんに任せて~~~♡………うん、いける。)

坂口健太郎(好きとか嫌いとかじゃなくてなんかもうしあわせに笑っててくれ。世界の平和のためにへにゃへにゃ笑っててくれ。きみの笑顔があれば、日本のオネエサンたちは毎朝涙しながらでも出勤することができます。経済が回るぜえ~。欲を言えば、ヒモでいいから家に来てくれ。うちの窓枠を飾ってくれ。)

神木隆之介(もう神木隆之介といういちジャンルが確立している。なので、かわいいのかかっこいいのかもよく分からない。天使。天界に帰る日が来てしまったら全人類が泣き叫ぶのでまじ勘弁。一種のテロである。阿鼻叫喚。地獄絵図。かぐや姫チャレンジするのでずっと地上にいてくれください。)

菅田将暉(ぼんやりしている様が似合うというのが私の中でのイケメンの定義なので、彼はイケメン中のイケメン。イケメンオブイケメン。短髪の菅田将暉は無敵。髪伸びるまでずっとスター使用中って感じ。そのままクッパも倒せる。でも髪長くなっても結局男前。雑が許されるのは顔がいい証拠ですが、きみはそのようなことちっとも気にも掛けずに、嫌いなものはずっと嫌いと声に出していてくださいね。いやどこの文豪。)

瀬戸康史涙袋の王子様。取り敢えずグレーテルのかまどを見てくれ。みんな大好き教育テレビだ。そして家庭科の時間とかに流してくれ。かまどとのかわいすぎる掛け合いは教育に必須だろ。これを見ずして何を見る。見ないと日本は終わりを迎えるレベル。未来に繋がるかわいさ、プライスレス。)

松田翔太(言わずと知れたイイ男。西門総二郎は私の青春です。あれ、ハードボイルドって今松田翔太が背負ってるんでしたよね?え?違いました?サングラスにスーツがまあよく似合う。血ですかね。ばんざい!!!)



何だ?これ。

日本国民は願う

 たくさんの人に愛されている五人が、これからの進み方を変えると言う。乱暴な言い方をすれば、それはただの転職だ。さすがにあんまりにも暴力的な表現だとは思うが、たった五人の転職がこんなにも多くの人に影響を与えるなんて、恐ろしいなと思う。同時にすごいなあ、素敵だなあと思う。私自身は、嵐のファンだと胸を張って名乗れる程彼らにお金や時間を使ったことがない。だけどそういう、自分の大事なものを彼らの為に使うファンという存在は、私の周りにも多くいた。なかなか当たらないコンサートのチケットを取るために、私に申し訳なさそうに両手を合わせる子もいた。その姿を見ながら、ああ嵐さんよかったねえ、と思ったことをふと思い出す。こんなに自分たちのコンサートを熱望してくれる人がいるってすごいことだよ。誰目線だよ、と言いたいところだが、結構純粋にそんなことを思ってしあわせな気持ちになった。私もアイドルのファン、オタクというやつだけれど、自分がそうして熱を注いでいる時にはこれが気づかないものなのだ。というより自分の好きな人に対して、私みたいにあなたのことすごく好きな人がいてよかったね、なんて思える筈がない。そんなやつはオタクではない。〇〇を好きな自分…(うっとり)なんてしてるやつは、オタク、ファン=その人たちのどこかなにかが好きで、その人たちに勇気や元気やプラスを貰っている人(完全な私の主観です)に当てはめてやる必要すらないと思う。だめだ、びっくりするくらい話が逸れてきている。そしてまとまらねえ。
  
 いや、何が言いたかったって、あれです。自分たちの選択を責める必要も悔やむ義務もないけれど、ただありがたいと噛み締めてほしいなと、ファンの友だちであるただの日本国民は願っておりますってことです。

「男友達」ってだってboyfriendだもんね

 wacciの「男友達」という曲があまりにもぎゅうっとなる。ぎゅうっとなるってなんだよって思うかもしれないけど、ぎゅうっとなるよぎゅうっと。メロディの陽気さと歌詞の飾らない痛々しさがちぐはぐで、訳の分からないままリピートボタンを押してしまう。そうして繰り返し聴いていると、そのうちに心臓持っていかれた気になる。こわい。私の心臓を返してくれwacci。



 この歌、ほんとになにがいちばんって、ひとがいちばん。曲を語っている「僕」と「僕」によって語られる「きみ」。彼らが非常にいいヤツだ。いや、いいヤツというよりはいいキャラなのかもしれない。「僕」は「きみ」に気持ちを伝えて遠くなってしまうくらいなら…と告白を渋ってしまうような男の子だし、「きみ」はそんな「僕」の心の機微になんてちっとも気付かない女の子だ。ちょっと情けないしぬけている。「きみ」なんて、まあ笑っちゃうくらいにおばかでかわいい。とにかくかわいい。容姿は知らない。もしかしたら美人さんではないかもしれない。私のタイプの戸田恵梨香みたいな顔でも橋本奈々未みたいな顔でもないかもしれない。でもとにかくひととしてかわいい。曲の冒頭、「僕」にむかって「どんな人がタイプなのって急に まるで思い出したように」聞く「きみ」の無邪気さには、呆れると同時にすべての棘を抜き去っていくような柔らかさがある。この歌の中での「きみ」は、とにかくそういう、対峙した者が持つ負の感情をまるっと投げ去るような女の子だ。そして快活。好きな男の子(憧れって感じの方が近しい気も勝手にする)と行ったご飯を振り返って、「おしゃれなところは窮屈だった」と言ってのけて「大きく笑う」。これにはもう、「僕」と同じく「そんなところが大好きなんだよ」!と叫ぶに尽きる。退屈だとか肩身が狭いだとか、そういう平凡でつまらない言葉じゃあなくて、窮屈って言葉を選んで使うこの子がなんだか好きでたまらなくなる。たぶん窮屈って口にし慣れてなくて言いにくそうだし、ほんともうかわいいの権化か。というか、短い1曲の中で聞いているだけの私にまでこれだけ「きみ」のかわいさを伝えられる「僕」もすごい。ほんとに健気でかわいいというか、いじらしい。

 いじらしいまでに「僕」に好かれている「きみ」は、ほんとうにまっすぐにおばかだ。「僕」の持つほんとの気持ちにはこれっぽっちも気づかない。気づきもしないからこそ、「男女の友情 成立すると豪語」できてしまう。豪語する「きみ」とそれを聞く「僕」を浮かべると、もう胸がきゅっとする。「きみ」はきっと自信満々に、ねじのぬけたばかなかおで笑うにちがいない。そうしてそれは、「きみ」から「僕」への最大で最高の好意の現れだ。普通男女の友情って成立しないよね、でも私たちは違うもんね。ひとと違うふたりだけの特別は「きみ」にとっての自慢で、そのへにゃへにゃの笑いがおのなかにある自慢を「僕」はきちんと読みとる。そうしたら「僕」はいたくたってしんどくたって、ちょっとだけどうしようもなくうれしくなってしまうんだろうなあ。なんだそれ。もう泣きたくなる。はなみず噛む時間をちょっとくれ。サビはやいぞ。ほんとちょっと待ってくれください。ティッシュ取ってくる。

 それから私がこの曲の中でいちばんに好きな箇所、豪語する「きみ」に「そうだよな そうじゃないんだな」って思う「僕」、これだ。ほんとに「きみ」のことが好きないい男すぎて心配になる。現代の人間か?存在するのか?バーチャルか?おばかな、的はずれなことを自信満々に言っちゃう「きみ」にそうだよなって同意してあげて、それから、そうじゃないんだなって苦笑するんだろう姿がやさしすぎてつらい。そうじゃないんだよな、じゃあないんだ。そうじゃないんだな。このせりふに「きみ」を非難するような棘はひとつもない。告白できないよわっちい「僕」だけど、「きみ」に当たってしまうようなよわい男じゃあない。これがどれだけ格好いいか。気づかない「きみ」はほんとうに阿呆だね。いつも「きみ」が気づきもしないようなところで「僕」は「きみ」を大切にしているのに。「会わない方がいいねとなるくらいならば 好きだという気持ちは墓場まで持ってくよ」。崩れるかもしれない関係性を思って躊躇う気持ちはおおいにあるだろうけど、それと同時に会わない方がいいと言わなきゃならない「きみ」をつくりださないための墓場まで…に違いないのだ。だってこれは「きみ」を大好きな「僕」の歌なんだから。それにしても墓場までって言葉選び秀逸すぎるだろ。お墓じゃなくて墓場。たまらん。でも好きなフレーズ、まだある。「酔いつぶれたきみのつむじに呟く」というところ。へべれけになるまで話しつづけた(たぶんちょっとばかり一方的な)「きみ」の恋バナを、「僕」は居酒屋のむかいの席で聞いてくれていたわけで。ちゃんと「きみ」の望むラインを踏まずにいてくれる、ほんとにいい男なんだよなあ。まあこの「僕」のいいヤツってのが全人類に向けてなのか好きな女の子にだけ向けてなのかは知らないけれど、そんなことは関係ない。とにかく「きみ」は、別な男に懸想して酔いつぶれている場合じゃないと思うんだけどなあ。あ~あ。



 いろいろ細かいフレーズだったりメロディとの嵌りだったりはもっとあるけれど、とにかくこのふたりほんとにいいヤツなんだ。好きになっちゃうんだ。きゅんとしちゃうんだ。って話。